世界の株価大暴落の歴史

世界の株価大暴落の歴史 stock investment
世界の株価大暴落の歴史
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世界の株価大暴落の歴史

はじめに株価大暴落とは、株式市場全体で株価が突如急激に低下することだよ。

パニック的な暴落の要因は、経済・政治・戦争・疫病など実に様々な可能性がある。

株価の大暴落っていうのは、市場参加者の大量の売りから始まり、市場に参加している他の多くの売り注文が殺到して起こる群集心理的な現象により発生するんだよね。

明確な暴落を数値化した基準や定義と言うのはないんだけど、一般的に数日間のうちに市場平均株価が2ケタの低下をみせる場合を指しているんだ。

暴落した相場っていうのは、数か月から数年単位まで尾を引くことが多い。

ずっと下げ続けるわけではなく、一定期間において上がったり下がったりを繰り返しながら徐々にもとの株価まで戻っていく傾向がほとんどだね。

今日は、過去に起こった株価の大暴落について歴史を紐解いてみよう。

1929年の暴落「ウォール街大暴落」

株式市場もっとも有名な暴落はやっぱり1929年のウォール街大暴落だろうね。

怒涛の20年代に経済は大きな成長をみせた、この時代はラジオ・自動車・航空機・電話・電力供給といった電子機器を中心とした工業製品が広く世の中に普及したまさに黄金時代と呼ぶにふさわしかっただろうね。

1921年8月24日当時の株価は、ダウ平均株価63.9だったけど9月3日にはなんとビックリわずか1か月足らずで6倍以上の381.2まで急上昇をみせた。

投資家たちは、信用取引にレバレッジ(てこの原理)を利かせて得た株式市場からのリターン(利益)に有頂天だったろう。

その年の10月24日(俗にいうブラックサーズデー)に、事態は一変する。

第一波の株価の暴落が襲来した。さらに、10月28日のブラックマンデー、10月29日のブラックチューズデーと第二波、第三波が次々と市場と投資家たちを襲ったんだ・・・

以降、25年間この時から当時の株価水準まで戻る事はなかった。失われた25年間だね

ブラックマンデーには、ダウ平均株価は38ポイント下落して260になり、下落率は12.8%ととなった、売り注文が殺到して投資家たちに手持ちの株の時価をお知らせする電信システム(ストックティッカー)が悲報を鳴り響かせたんだ。

ブラックチューズデーは投資家たちにとって混迷の日となったんだ。

株価が暴落したために、信用取引で証拠金(キャッシュ)を担保にいれて株取引を行っていた投資家たちだったが、予期せぬ大暴落のために証券会社に差し入れた証拠金が足りない状態となり、「追加で証拠金(担保)」を差し出さなかきゃいけなくなったんだ・・・

これが俗にいう、「追証(おいしょう)」だね。これは投資家にとってはとっても怖い現象

追加証拠金が必要となった投資家たちは、手持ちの株を売って現金化を迫られた。

従って、株式市場には「超大量の売り注文」が浴びせられる事となったんだね。

11月11日は週末で株式指標は228となり、9月の最高値からは40%の下落を見せた。

株式市場では数か月におよぶ活発な取引合戦が行われたけれど、もはや焼け石に水。

やがて現代史上最悪と呼ばれる経済危機が投資家たちを飲み込んでいった・・・

この大暴落に端を発し、大恐慌を迎えていくことになった経済界はたくさんの企業破産を招く要因となっていったんだね。

大教協が底をようやくついた頃の1932年7月8日時点では、ダウ平均株価は89%も下落していたんだ。ほんとにおっかないよね!当時投資やって無くてよかった汗

1987年の大暴落

時代はだいぶ進み、80年代(shunbowの誕生81年)は、楽観主義が幅を利かせた時代。

82年8月から87年8月までダウ平均株価は驚きの776から2722まで大きく上昇した。

この時期の株価上昇なんだけど、なんと同期時の世界19大市場の株価を平均296%も押し上げたんだって。驚愕の上昇率だよね。

しかしまたしても時代は大きな転換期を迎えることになったんだ・・・

1987年10月19日の大暴落は後に「ブラックマンデー」と呼ばれ、5日前から続いていた株価下落のクライマックスだった。

ダウ平均株価は14日に、3.81%下落し、16日にはさらに4.6%も下がったんだ。

しかしこれらは、翌週の19日に比べれば物の数ではなかった・・・

ブラックマンデー当日、ダウ平均株価は「508ポイント、22.6%の大暴落」を記録したんだ。

ニューヨーク証券市場では、上場株2257種のうち195種は注文に対応しきれず値がつかないといった現象まで起こったんだ。しかし、ナスダックの状況はさらに深刻だった。

マーケットメーカー(証券会社などの売買担当者)らが、市場から撤退するという事態にまで発展し、ナスダック市場の流動性は一気に蒸発した。多くの取引では「売値」が「買値」をはるかに高抜くといった異常な状態に陥った。マイクロソフトの株はナスダック市場でわずか54分間で取引を打ち切られたんだって。

この大暴落は、一日取引の損失としてはウォール街の歴史上最大となったんだ。

14日の取引開始から19日までの取引終了まえにダウ平均株価は760ポイント31%も大きな下げ相場を記録したんだね。

市場では1930年代の大恐慌の再来を恐れながらも暴落直後から活発な取引が展開され、翌日には史上最高となる一日の上げ幅で102.27ポイントを記録し、22日には186.64ポイントを更新した。

ダウ平均株価はこの大暴落からわずか2年、1989年8月までに市場の株価を完全に回復したというこれまた驚きの復活劇を展開したんだね。

ちなみに、1987年の大暴落の原因は未だ結論づけられていないだって。

そして、この1987年の大暴落の結果、ニューヨーク証券市場には「ブレーカー」と呼ばれる取引制限が導入されることになったんだ。この強制的市場停止システム「ブレーカー」は取引時間中に株式市場が大きく下落すればいつでも発動されるんだって。

2008年の大暴落サブプライムローン

この時の暴落の原因は実意明快でシンプルだった、サブプライムローンというアメリカでの低所得者向けの住宅ローン融資が焦げ付きだしたのがきっかけだった。

2008年の大暴落は、2007年までにダウ平均株価が史上最高値を更新し続けたこともあって、当時の景気拡大を後押ししたサブプライムローンは2006年頃から安定的な運用を問題視されはじめていたが、拡大の一途を辿っていった。

しかし、2007年6月22日に、米大手証券会社ベアスターンズ参加のヘッジファンドが、サブプライムローンに関連した運用に失敗したことを明らかにすると、7月10日には、米格付け機関のムーディーズが、サブプライムローンを組み込んだ住宅ローン担保証券RMBSの大量格下げを発表し、金融の収縮がいっきに始まったんだ。

その後一時はダウ平均株価は、10月に再度史上最高値を更新したんだけど、その裏では住宅価格は下落の一途を辿っていて、その後金融会社での損失が明るみに出ると一気に金融不安が再燃したんだ。

そして、最近でも有名なあの大暴落へと物語は歩みを進めていく事になった・・・

2008年9月15日、米証券第四位(当時)のリーマンブラザーズの破綻と同三位のメリルリンチのバンク・オブ・アメリカによる救済合併、翌16日には米最大の保険会社AIGの経営危機による国営化が世の中に明らかとなると金融収縮を懸念し、アメリカは緊急経済安定化法案を議会へ提出した。しかし、9月29日に下院で本案が否決された・・・

ダウ平均株価はこの報道事実から、史上最悪となる777ドル安をつけたんだ。

そして、世界規模による金融危機が襲来することになった。

ロシアでは7日、19%も株価が暴落、アイスランドでは対ユーロでクローナが30%も大暴落し、同国ではすべての銀行が国有化されるなど、世界同時金融危機が本格化した。

翌日8日にダウ平均株価はが678ドル安をつけると、日経平均株価は翌日881.06円安とっ過去3番目(当時)となる大暴落を記録したんだよね。

さらに、その後もまったくその勢いは止まらず、13日日欧米の5つの中央銀行が資金無制限供給を受けた直後、ダウ平均株価は936.42ドル高(+11.08%)を記録した。それに続くように翌日の日経平均株価も1171.14円高(-14.15%)と大幅に上昇したよね。

2020年新型コロナウイルス大暴落

そして、いま現在も世界中ではまた新型コロナウイルスという未曾有のウイルスの危機によって世界規模の終わりの見えない金融危機に直面している。

多くの企業が、すでに日本でも倒産して日に日にその数は上昇の一途を辿っている。

ほんとに、株価が大暴落をするって事は世界中に、経済界のみならずさまざまな分野においても未曾有の悲劇をもたらす要因になるってことを歴史は証明したね・・・

いま、まさに新型コロナウイルスによって過去の歴史同様に世界市場が大混乱を極め、株価も今年の3月から大暴落をしたのはほんとに記憶に新しいよね・・・

大きなピンチには、大きなチャンスがあるって良く言うけどくれぐれも投資は自己責任でするもの、人生まで破綻しないように十分に気を付けようね。

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